ニューロダイバーシティへの批判はある?
ニューロダイバーシティへの批判はある?

ニューロダイバーシティへの批判はある?

こんにちは、DiODEN代表のyukiです
実は、これが私が担当する最初の記事になります!初心者ゆえの至らない点もあるかもしれませんが、丁寧に書きますのでよろしくお願いいたしますm(_ _)m

それでは


ニューロダイバーシティ」という言葉を聞いたけれど、どんなものかよくわからない…と気になっていませんか?

そんな方に向けて、アスペルガー・ADHDグレーゾーンの当事者でもあり、海外の最先端の文献を含む様々な資料を読んできた筆者が、見てきた様々な意見をまとめた記事を書きました!

この記事は、ニューロダイバーシティについてこんな疑問を持っている方に特におすすめです

 
  • 既存の医療や障害者福祉、発達障害との関連性は?
  • 先行事例での効果や課題は?
  • 医師や当事者・教育機関はどう思ってる?

本記事を読めば、初心者でもニューロダイバーシティへの批判や議論について理解できますよ!

まず前半部分では、そもそもニューロダイバーシティとは何なのかについて、
そして後半部分では、ニューロダイバーシティの取り組みへの批判について紹介します

「ニューロダイバーシティについてはもう知っている」という方は、こちらから後半部分のみを閲覧することもできます

そもそも、「ニューロダイバーシティ」とは?

そもそも「ニューロダイバーシティ (Neurodiversity)」とはどういう概念なのでしょうか

世界的に権威のある辞書である 「Cambrige Dictionary 」では、ニューロダイバーシティのことが次の様に紹介されています (※このあと日本語訳も書くのでご安心ください)

Neurodiversity ( noun [ U ] )

The idea that people having a range of different types of brain, including those with and without autism, should be regarded as part of normal human life

Cambridge Dictionary https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/neurodiversity

カタカナ語であることからもなんとなくわかるように、ニューロダイバーシティは欧米で当事者運動として始まった、比較的新しい概念です。下の図からも、ニューロダイバーシティが2000年代になってから英語圏で著名になりはじめたことがわかります

GoogleBooksによる検索数のグラフ。1990年代に提唱され、2000年以降に有名になった比較的新しい概念であることが確認できます

日本語に訳すと、だいたい

「自閉スペクトラム傾向の有無を含む、さまざまな特性の脳を持つ人々を、正常な人間の一部と見なすべきという考え方」

という意味になります

とはいっても、これだけではわかりにくいと思うので、もう少し詳しく・噛み砕いて説明すると

これまで「発達障害」とされてきた、自閉スペクトラム・ADHDや、2E・ギフテッドなどの発達特性(認知や思考のあり方)について、

「欠陥・障害」ではなく、性的指向や民族、人種などのような正常な多様性の一つとして捉えるべきだという考え方

のことです。また言葉の言い換えとは異なり、そのようなパラダイム・それに基づく人権運動や支援活動・社会制度などが実践されています

また、従来の

当事者に何らかの異常や欠陥(障害)があるから『生きづらさ』が生じるので、それを『正常』とされる状態に治すべきだ

という考え方である「病理学的パラダイム」に対して、

少数派の発達特性の人にとって生きづらい環境によって『生きづらさ』が生じている※ので、多様な特性の人に機会が保証される環境に変えるべきだ

という考え方をとっています

※「少数派の発達特性の人にとって生きづらい環境によって『生きづらさ』が生じている」 とは?

一般に「社会モデル」として知られる考え方です
例えば、ASD(自閉スペクトラム)の特性のうち短所(症状)とされるところとして

「社会性が低い」

という評価がありますが、もしASDの人が多数派の社会であったら、社会はその特性に合わせて作られ、また課題になる点があったとしても、それは欠陥とは見なされないはずです。逆に、ASDの長所として言われる点についてはASDではない人の「障害」として見られるかもしれません

また、「社会性が低い」とされる傾向は、言い換えれば「同調しない」ということですから、フェイクニュースや情報統制などが問題になる状況下では、同調がマイナスになりうる状況が注目されて「障害」と見なされるかもしれません。もちろん、一般的には社会性が高いというのはASDではない人の「長所」です
このような発達障害に関する「障害という概念の相対性」の認識を元に、
様々な特性の人が生きやすい環境
非定型な特性をもつ人が「正常」とされる状態に適応することを強制されないこと
特性がプラスになりうる場面にも注目すること
などが提唱されています

ニューロダイバーシティへの取り組みの例

ニューロダイバーシティは当事者による人権運動として始まったものですが、ここでは便宜上、著名度の高い機関による取り組みを紹介します

スタンフォード大学(アメリカ)の例

  • ニューロダイバーシティに基づく学生へのサポート
  • ニューロダイバーシティに関する講義
  • ニューロダイバーシティに関するイベント(Stanford Neurodiversity Summit など)の主催
  • ニューロダイバーシティに基づく就職支援

などが行われているようです

スタンフォード大学ニューロダイバーシティプロジェクト(https://med.stanford.edu/neurodiversity.html

Microsoft 社によるニューロダイバーシティ型の雇用

創業者であるビル・ゲイツ氏自身がアスペルガー症候群の当事者である、米Microsoft社でも取り組みがあるようです。他にはGoogleやAmazon、SAPなどの取り組みが有名です

英語の採用ページ (https://www.microsoft.com/en-us/diversity/inside-microsoft/cross-disability/neurodiversityhiring)

日本におけるニューロダイバーシティ

筑波大学による取り組み

筑波大学では学生支援にあたりニューロダイバーシティの考え方を採用しています

筑波大学の公式サイトより https://dac.tsukuba.ac.jp/shien/disabilities/developmental_disabilities/

https://dac.tsukuba.ac.jp/shien/disabilities/developmental_disabilities/ニューロダイバーシティ/

アクサ生命による啓発活動

2020年に、アクサ生命がニューロダイバーシティに関する啓発活動を表明しています

https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP532335_S0A400C2000000/


それでは、長くなりましたが次からニューロダイバーシティへのよくある批判について紹介していきます

ニューロダイバーシティに関する議論

注意:私の立場について

私自身はアスペルガー(自閉スペクトラム)、 ADHDグレーゾーンの当事者です。また、私なりの思い・課題意識から、ニューロダイバーシティを推進するNPO団体・DiODENを設立した身でもあります。この記事は、「NPOの代表として、懸念についても言及しておくべき」という思いから書きました


ニューロダイバーシティについて、よくある議論をまとめました。それぞれの懸念に対しても議論があるので、そうしたものをふまえた私なりの意見を、併記した形で紹介しています

ニューロダイバーシティに批判はある?

当事者による人権運動であることもあり、ニューロダイバーシティを完全に否定するような批判は、少なくとも海外では著名ではないと感じます。その一方で、ニューロダイバーシティを尊重すべき範囲や、程度については、当事者の中でも議論があります

議論1: 「障害ではなく多様性」と主張すれば、支援がなくなるのではないか

発達特性を正常な多様性の一つだと主張すれば、「個性だから支援しないでいい」と、現在の障害者支援が受けられなくなってしまい、特に重度の当事者(知的障害を併発していたり、自閉傾向がとても強かったりする当事者)ほど困るだろうという批判があります

私の考え: 支援の否定ではなく、別の支援のあり方がありうる

ニューロダイバーシティという考え方は、「支援をしないこと」ではなく「当事者を劣ったものと捉えて矯正する」方向性から「多様な特性の人が生きやすい環境を作る」という方向性への転換を訴えるものです

この議論に関しては前例があります
以前、性的マイノリティーは障害とされていましたが、過去にはWHOが性的マイノリティを精神障害から除外し、差別的なイメージの払拭などの効果が見込まれました。一方でその際にも、「障害ではなくなったら、支援がなくなるのではないか」という懸念がありました。しかしながら、この時にはWHO自身も当事者が支援を受ける権利はなくならないと指摘しています

性的マイノリティに限らず、黒人や女性など生きづらさを抱えるマイノリティは数多くいますが、彼らが支援を受ける権利があるのは、彼らに何らかの障害があるからではありません。同じように、当事者への支援と、非定型な特性が「障害かどうか」は切り離して考えるべきだと、私は思っています

具体的には、性的マイノリティの例で使用され、既に自閉スペクトラムに対しても海外の教育機関などで使用され始めている(Conditions 状態群)という考え方があります※1。これまでは、自閉スペクトラムをDisability(障害)やDisorders(症)と呼んでいましたが、より「中立的」※2な呼び方としてConditionsを採用し、当事者の内面のあり方(状態)の深い理解という土壌の上で、それを支援の根拠にしようという考え方です

※1~3 参照元「ニューロダイバーシティの教科書」 村中直人 p.p.20-25

また重度である当事者に関しても、福祉的支援と組み合わせてニューロダイバーシティ的な環境調整を行うことは有効だと考えます

また、当事者の特性を理解しない「多様性だから支援しなくてもいい」といった考えについては、「多様性への支援」を訴えるニューロダイバーシティとは真逆の考え方で、現実に少数派の人が生きにくい社会構造があるということをふまえても、容認されることはないだろうと思っています

また、もう一つの重要な視点は、逆に既存の支援では支援されない(されにくい)当事者がいるということだと思います(このことについては最後にふれます)

議論2 ニューロダイバーシティから自閉性障害は除外すべきか

知的障害や言語発達の遅れを伴う自閉症である自閉性障害や、その他の高知能ではない当事者はニューロダイバーシティの対象から除外すべきだという議論があります

私の考え: 属性ごとに考えるべき

非定型な特性(自閉傾向など)に加え、知的障害や言語発達の遅れなどを併発している当事者については、その属性に関しては障害者支援を行いつつも、自閉傾向にはニューロダイバーシティ的なアプローチを行うアプローチが考えられると思います。それぞれの状況に応じて福祉的支援と組み合わせて環境調整を行うことは有効だと考えます

議論3 ニューロダイバーシティから統合失調症や学習障害などは除外すべきか

ニューロダイバーシティは、アスペルガー症候群(現診断基準ではコミュニケーション障害/ または 自閉症スペクトラム障害)の当事者から始まった運動ですが、ADHDやギフテッド、2Eなど、他の分野にも広がっています。Wikipediaのニューロダイバーシティのページによれば、今挙げた他に統合失調感情障害者、ソシオパス者、睡眠リズム障害者などがニューロダイバーシティを唱えています。これらにまでニューロダイバーシティを転用するべきではないという批判があります

私の考え:ニューロダイバーシティの要件を満たすなら対象

私は、自身が関係のあるもの以外については知識が比較的浅いので大まかな話しかできませんが、ニューロダイバーシティの主要な概念である

  • 「治療」すべき対象ではない
  • 一概に欠陥とは言えない(障害ではない)

などといった主張の必要性があれば、ニューロダイバーシティに含まれ得ると思いました

一方でニューロダイバーシティとは別に、障害学にも「社会モデル」という考え方(障害の原因は当事者だけではなく環境にもあるという考え方。日本も批准している障害者権利条約で定められています)があるので、敢えてニューロダイバーシティを主張する必然性が必ずしもあるとは言えない場合もありうると思います

当事者による議論が重要だと感じます

「全く同じ特性の人は存在せず、その点ではすべての人がニューロマイノリティ(非定型発達)である」という考え方もあります。また、ASDについて「自閉スペクトラム」というように、特性はスペクトラム状のものであるため、どんな人も自閉的な傾向をもっていることになります。

その意味では少数派の特性を持つ人にとって生きやすい、ニューロダイバーシティが尊重された社会は、あらゆる人にとって生きやすい社会でもあると私は思います。

ただ、「定型発達の人同士の違いと発達特性の違いを同一視するような言論は、当事者の特性の違いによる生きづらさを軽視している」という批判もあります。私個人としても、それぞれで「特性が非定型な度合い」や生きづらさの度合いが違うことについては留意する必要はあると思っています。一方で、どちらの多様性も重要だと思っています。

議論4 既存の医療や福祉支援の否定であり、問題なのではないか

「ニューロダイバーシティは既存の医療や福祉支援を否定している」と考えている人の中で、既存の支援で助かる人もいるのだから、これを批判することは医療や福祉の発展にとってよくないのではないかという批判があります

確かにニューロダイバーシティは、

「当事者は『欠陥・障害』であるような異常な状態であり、治療すべきだ」という「医学モデル」

へのアンチテーゼとしての、当事者からの人権運動という側面がありました

たとえば、当事者が定型発達的な振る舞いをさせられることによるストレス増加・自殺リスクの上昇が研究により指摘されています(https://www.turtlewiz.jp/archives/18958より引用)。また、リスクもある向精神薬以外の対処法が限られていること、当事者のあり方を「欠陥・障害」と分類することによる差別の誘発や当事者の自己肯定感の低下といったことは課題とも考えられるかもしれません。こうした点は一部からは批判の対象になるかもしれません

私の考え: みんなでより良いあり方を追求していく

既存の支援とは違うからこそ、既存の支援では手が出せなかった環境面の影響や、支援までには至らないが生きづらさを抱えている当事者については、ニューロダイバーシティが大きな効果を発揮するのではないでしょうか

ニューロダイバーシティを推進する私達のNPO団体・DiODENも、複数の専門医の方から応援していただいていますし、先にご紹介したスタンフォード大学の事例では、医師の側に分類されるであろう、医学大学院の側がニューロダイバーシティを推進しています。日本でも、ニューロダイバーシティに関する話題が医学紙・「医学界新聞」で大きな反響を呼んでいるようです

一方で私個人の意見としては、それぞれの当事者の意思や特性の度合い、状況を鑑みて、必要ならアファーマティブ・アクションや既存の医療・支援を組み合わせるようなアプローチも可能だと思います。特に初期においては、幼少期の教育・生育環境から職場環境、家庭や老後生活まで、すべてでニューロダイバーシティを尊重した環境を整備することは難しいでしょうから、そうした支援を併用することが望ましい当事者もいると思います。そうした共存のかたちもありうるのではないでしょうか

議論5 

  • 当事者の生きづらさを軽視しているのではないか
  • 現実に生きづらいのだから、障害であるのではないか

ニューロダイバーシティの「発達特性の差異は優劣(障害)ではなく、平等な多様性の一部」という主張に対して、それが生きづらさを軽視しているという批判や、「現実に生きづらさがあるのなら、それは障害として支援すべきではないか」という批判があります

私の考え:

  • 逆に、生きづらさを重視するからこその主張
  • 生きづらさの原因が障害とは限らない

そもそもニューロダイバーシティは、「社会による生きづらさ」をなくそうとするものなので、生きづらさを軽視しているということはないと思います。ただ、生きづらさの原因を「当事者」に見いだすか「社会構造」に見いだすかの違いだと思います

また、「障害があるか」と「生きづらいか」は別の者だとも考えます。たとえば、女性や性的マイノリティ、少数民族といった方には、それぞれ決して軽視できない生きづらさがあると思いますが、それは「当事者に障害がある」からではありません

ただその一方で、同じ非定型発達と言っても、度合いによって感じる生きづらさの種類は違うでしょうから、私もさまざまな非定型な特性の当事者の意見は重要だと認識しています

ニューロダイバーシティへの取り組み自体には強い必要性がある

こうした議論を踏まえても、私は1人の当事者として「ニューロダイバーシティ(神経学的な多様性)を尊重すること自体は必要」だと思います。その上で、ニューロダイバーシティの対象範囲や方法論については、議論が必要だと感じました

なぜなら「明らかに、ニューロダイバーシティが尊重されなければ解消されない生きづらさがある」と、当事者である私自身が感じてきたからです

…といってもこれだけではかなり主観的なメッセージになってしまうので、順を追って説明します

既存の枠組みでは支援されない/されにくい当事者がいる

 現在は、「障害者支援」という枠組みでのみ支援が行われ、多様な発達特性の人が生きやすい環境の整備は余り進んでいないように思えます

 その結果、障害者手帳の交付のハードルが物理的・心理的に高いこともあり、「障害者手帳をもらうまでには至らないけれど、生きづらさを感じる当事者」が数多く発生しています(私もASDやADHDを対象とした支援を貰えたことはありません)
 また、たとえ最終的には障害者手帳を貰えたとしても、そこまで生きづらさが高じるまで耐えなければいけないという状況も問題であると考えます

 そのため、ニューロダイバーシティを尊重した多様な選択肢のある社会は、これまで多くの支援から取り残されてきた「中〜軽度」や「発達障害グレーゾーン」の当事者にはとても有効なアプローチになりうると思います。また診断に依存しないことから、未診断・未自覚であるものの非定型な傾向のある当事者にとっても活躍の機会をもたらしうるものだと思います

既存の枠組みが解消しない(助長する)生きづらさがある

私は、既存の支援では対応できない・あるいは既存の支援が引き起こす生きづらさがあると感じています。それは以下の3点です

  1. 「生きづらい社会」そのもの
  2. 当事者のアイデンティティの一部でもある特性の否定による、「生きる意味」の喪失感や自己肯定感の低下
  3. 特性が「障害」とされることによる差別

1つ目は、たとえ支援が極限まで進んで、全ての当事者が「苦労なく、完全に定型発達の人と同じように振る舞えるようになる」ことで生きづらさを回避できる状態が実現しても、生きづらい社会そのものは消えていないという点です。したがって、その状態でも支援を受けられるまでは当事者は生きづらさに苦しみますし、今度は他のマイノリティが生きづらさに苦しむかもしれません。また、ニューロダイバーシティの存在は文明の進化に寄与してきたという論文もありますから、ASDやADHDの「遺伝子レベルでの根絶」を支援する研究方針は社会全体にとってもマイナスになる可能性があります

2つ目は、現行の支援が準拠・支持している「非定型な特性は障害である」と言う考え方や、それに基づく「支援を受けるには診断や障害者手帳の取得が必要」と言った類の制約による生きづらさです。当事者は自身の人格を否定され、さらに支援を必要とする場合は「あなたの特性は障害である」という見解の支持を強要されることになります。これは多くの当事者にとって、アイデンティティの喪失や自己肯定感の低下につながり得ると思います

3つ目は、非定型な特性を「障害」や「欠陥」とする考え方が公式見解になっていることは、当事者全体への差別や偏見を助長しているという点です。たとえば、本来は特性に合わせた施策が取られたほうが生きやすいにも関わらず、現在は自身の非定型な特性のカミングアウトは非常に難しい状況にあります。人間関係の孤立や、適当な他の理由をつけた面接での不採用・人事での左遷や解雇など、様々な面で偏見や差別の可能性があります。また「困っているのは本人に障害がある所為」という考え方が、特に一般雇用の当事者や通常学級に通う当事者に配慮がなされない原因になりかねません


 

以上の理由から、継続的に批判に耳を傾け続けることは重要だと思いつつも、やはり私は「ニューロダイバーシティ」はこれからの社会に必要な考え方だと思います

そして、ニューロダイバーシティに関する取り組みの実績や、当事者の参画がまだ日本では少ないという状況の中で、1人の当事者として「まずはやってみて、世の中に問うてみる」ことは重要だと感じて、ニューロダイバーシティに取り組むNPO団体・DiODENを起業しました

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